1969年に発表されたデファイは、ゼニスの社運をかけた一大コレクションとなるはずだった。300m防水に、高い耐衝撃性能、そしてユニークなケースといった特徴は、確かに今までのゼニスにはないものだった。しかし経営環境の変化は、デファイの将来に影を落とした。紆余曲折を経てアイコンに返り咲いたデファイの歩みを見ていくことにしたい。
1865年に時計メーカーを設立したジョルジュ・ファーブル=ジャコが、社名を「ゼニス」と改めるのは1911年のこと。しかしそれに先立って、彼は自らの製作する時計に様々なモデル名を与えた。ゼニス、ジョルジュ・ファーブル・ジャコ、ディオゲネス、そしてデフィ(DEFI)などだ。普通の経営者であれば、頂点であったり、アレクサンドロス大王を驚かせた哲学者の名前であったり、あるいはフランス語で挑戦を意味するデフィ=デファイという言葉は選ばないだろう。ジャコが非凡であったというエピソードは多く残っているが、そのひとつは間違いなく、他にはないネーミングセンスにあった。もっとも製品化にあたって、ジャコはその名前をDEFYとわずかに改めた。おそらくこのデファイは短命だったはずだが、新しいコレクションを興すにあたって、ゼニスは「挑戦」という輝かしい名称を復活させた。
5種類のケースと12のバリエーションを持っていたデファイ。最もアイコニックなのは、8角形のケースと14角形のベゼルを持つモデルだった。これはグレー文字盤のA3642。他にもルビー文字盤のA3691、ブルーの2トーン文字盤を持つA3651などが存在した。自動巻き。直径37mm。
1969年に発表されたデファイは、名前の通り、極めて挑戦的なモデルだった。ゼニスが目指したのは、どの環境でも高精度な時計を作ること。そう言って差し支えなければ、デファイとはG-SHOCKの先駆けとなるようなモデルだったのである。
1968年にモバードを統合したゼニスは、同社の高振動化技術を採用することで、世界初のハイビート自動巻きクロノグラフであるエル・プリメロを完成させた。そんな同社は、過酷な環境であっても高い精度を持つ時計を作ろうと考えたのである。
1969年に発表されたデファイは、直径37mmというサイズに300mもの防水性能と極めて高い耐衝撃性を盛り込んだ野心作だった。おそらく、このモデルに刺激を与えたのは、エルヴィン・ピケレ(EPSA)のコンプレッサーケース(およびスーパーコンプレッサーケース)を持つ一連のダイバーズウォッチと、67年に発表されたIWCの「ヨットクラブ」だろう。前者はスイスの時計業界にダイバーズウォッチという概念を普及させた立役者であり、後者はムーブメントの外周に加えたラバーで、ショックを吸収するユニークな耐衝撃装置を持っていた。あくまで推測だが、こういう
ロレックス時計コピーに刺激を受けたゼニスが、これらを超える「万能時計」を作ろうと考えたのは想像に難くない。しかも当時のゼニスは、世界初の高振動クロノグラフを開発するほど、勢いのある会社だったのである。
「時の金庫」と謳い上げたデファイの広告。「正確さがこれほど厳密に守られたことはなかった」「他の頑強な時計が諦める環境でも正確」という文言も、300m(1000フィート)もの防水性能とラバーによる圧倒的な耐衝撃性能を考えれば納得だ。
300m防水と高い耐衝撃性を誇るデファイのケース。開発したのはピケレではなく、ピエール・A・ナルダン(もしくはピエール・アントワーヌ・ナルダン)社だった。同社は68年2月6日に「ムーブメントのケースへの組み込み:衝撃吸収マウント」で特許を申請し、70年3月31日にスイス特許493877として公開された。
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